
「清らかな欲望」を持つ
私には一つの願いがあります。この世という高校を卒業して、天国という大学に入れば、それで満足なのかというと、そうではなく、「清らかな欲望」が残っているのです。私に50年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、私たちを育ててくれた山、河-こうしたものに対して、何も遺さずには死んでしまいたくはないという気持ちです。
死んで、自分だけ天国に行くのではなく、この世に何かを遺していきたい。別に後世の人に褒めてもらいたいとか、名誉を遺したいと思っているわけではありません。ただ、私がどれほどこの地球を愛し、世界を愛し、仲間を思っていたかという証、英語でいう、メメントをこの世に置いていきたいのです。これは決していやしい考えではないと思います。
私は米国の大学に留学しているときにも、いつもそう考えていました。
そして大学を卒業するときに、同級生たちと学内に記念樹を植えました。私を4年も育ててくれた大学に何らかの気持ちを遺したかったからです。
同級生でお金持ちの人たちは、記念樹だけでなく、音楽堂を寄付したり、図書館を寄付したり、運動場を寄付していました。
少しでも世の中をよくしたい
しかし、今、私たちは、この世界という大学を去るのに、何も遺さずに死んでしまうのでしょうか。いえ、この講演の初めに言ったような「歴史に名を遺したい」という意味ではなく、この地球に何かメメントを遺したい、この地球を愛した証拠、仲間たちを愛した記念碑を置いていきたい、という意味での「歴史に名を遺したい」という気持ちがあります。死んで天国に行くとしても、この世に生まれてきた以上、少しでもこの世の中をよくして死んでいきたいということです。
有名な天文学者のウィリアム・ハーシェルが20歳くらいのときに、友人に「愛する友よ、私たちが死ぬ時は、生まれたときより、世の中を少しでもよくしてから死んでいこうではありませんか」と言ったそうです。とても美しい青年の希望だと思いませんか。みなさんも、ハーシェルの伝記をぜひ読んでみて下さい。
ハーシェルはその希望どおり、世の中をとてもよくした人です。それまで知られていなかった星や星雲を数多く発見し、当時植民地だったアフリカの喜望峰に何年か滞在し、南半球の星を観測し、全天星図を完成させました。そのおかげで、今日の天文学は大変な恩恵を受けました。しかも、昔は星が方角の目印となり、それを頼りに航行したので、航海が盛んになり、商業が栄え、人類が進歩し、宣教師も外国に布教に行くことができるようになりました。 私たちもハーシェルと同じように大きな志(Ambiition)を達成したいとは思いませんか。何か一つ事業を成し遂げて、私たちの生まれたときよりも、この日本を少しでもよくして死んでいきたいと思いませんか。こういう気持ちには、みなさんも賛成して下さるのではないかと思います。
ウィリアム・ハーシェル(Frederick Williamエerschel)
〔1738~1822〕英国の天文学者。ドイツ生まれ。大型の反射望還鏡を製作し、1781年に天王星を発見したのをはじめ、2500の星雲・星団、800の二重星を発見し、太陽系の運動を確認した。

ここで言われていることは、人は何のために生きるのか。あるいは人生の目的は何かという事に関係することといえます。このことについて内村氏は、「天国という大学に入れば、それで満足なのかというと、そうではなく、「清らかな欲望」が残っている。私に50年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、私たちを育ててくれた山、河-こうしたものに対して、何も遺さずには死んでしまいたくはないという気持ち」があると言っておられます。
後に生きるであろう人々、子供や孫たちもそうでしょうが、子供や孫たちがいなくても、この国に、この世界に生きる人たちに何かを残していきたいというのです。それは、「少しでも世の中をよくしたい」という思いでもありました。内村さんは、「二つのJ」、すなわちJESUSとJAPANのために生きると述べておられます。
このような志を持って生きるという事は、まことに尊い生き方であると思います。
