
内村鑑三が記した「後世への最大遺物」という書物があります。
これは、日本を代表する思想家、内村鑑三が、夏休みに若者たちを集めて講演した内容を書き起こしたものです。
題名だけ見ても、何がテーマなのかわからないかもしれませんが、この書物は、今のように世の中に元気がない時代、先が見えない時代、救いのないように思われる時代に、若い人をはじめ、人々がどのように生きていけばよいのかという指針を示したものです。この書物から、私が気づきを与えられたことのいくつかを綴ってみたいと思います。
講演の初めの方で、内村氏は、頼山陽ー[1780~1832]江戸後期の儒学者・歴史家・漢詩人・書家。その著『日本外史』は幕末期における歴史観に大きな影響を与えた。ーという方の詩を紹介しています。
十有三春秋、
逝者已如水、
天地無始終、
人生有生死、
安得類古人、
千載列青史
(十有三春秋、逝く者已に水の如し。天地に始終無く、人生に生死有り。安んぞ古人に類するを得て、千載青史に列せん。 十三歳になった。これまでを振り返ると、月日は川の流れのように流れ去って、もはや戻ってはこない。天地は永遠で、始めも終わりもない。人間には生死があり、人生には限りがある。ならば、なんとかして、歴史上のすぐれた人々のように、自分も長い歴史の中に名を残したいものだ)
有名な詩で、頼山陽が十三歳のときに作ったものです。
振り返ると、まだ外国語学校に通学しているときに、この詩を読み、私も自然に同じような気持ちになりました。私のようにこんなに弱くてー私は子どものときから身体が弱かったのですがI社会に与えられた場所もなく、世の中に出るつてもなかったのですが、どうにかして私も長い歴史の中に名をとどめるような人間になりたいという気持ちがわき起こったのです。その欲望は決して悪いものだとは思っていません。私がそのことを父や友達に話したところ、彼らは「お前にそれほどの希望があるのなら、お前の一生はとても頼もしい」と喜んでくれたのです。
ところがその後、思いがけずキリスト教に接し、その教えを学ぶと、青年のとき以来の「長い歴史の中に名をとどめたい」という欲望がほとんどなくなってきました。キリスト教に出会ってからは、この世の中で何か事業をしよう、何か新しいことをしよう、男らしい生涯を送ろう、という気持ちがなくなってしまいました。
歴史に名をとどめたいということは、考えようによっては、非常に下品な思想なのかもしれません。われわれがこの世に名を遺したい、この一代のわずかの生涯を終え、そのあとは後世の人にわれわれの名を褒めたたえてもらいたいという考え。それは、ある意味では、私たちが持ってはならない考えだと思います。ちょうど、エジプトの昔の王様が「おのれの名がのちの世に伝わるように」、世の人に彼が国の王であったということを知らしめるために、多くの民を働かせて、大きなピラミッドを造ったのと同じで、キリスト教信者としては持ってはならない考えだと思います。
死んだ後にのこしたいもの
このあいだ。アメリカのある新聞で見ましたが、夫をなくした大金持ちのある貴婦人が、「死んだ後に私の名を国中の人たちに覚えてもらいたい。しかし自分のお金を学校に寄付するとか、病院に寄付するのは、普通の人と同じだから、私は世界中のだれも造ったことがないような、大きな墓を造ってみたい。そして歴史の中で長く記憶されたい」と言って、先日その墓が出来上がったそうです。どんなに立派な墓なのかは知りませんが、その費用に驚きました。200万ドルかかったというのです。200万ドルをかけて、自分の墓を建てるのは、確かにキリスト教的な考えではありません。
しかし、歴史に名を遺したいと思うのは、そんなに悪いことではなく、むしろ、キリスト教信者にとってよいことなのではないかと思うのです。
キリスト教では、人生は、未来の前にある階段だと考えます。大学に入る前の高校のようなものです。私たちの人生がたった50年で終わってしまうとしたら、生きている甲斐がないかもしれません。しかし、キリスト教では、人間は「永遠に生き続ける」ために、現世に生まれてきます。喜怒哀楽の変化が霊魂を創り上げ、最終的に不死の人間となって、この世を去り。天国でもっと清らかな人生を永遠に送るのだという教えを私は信じているのです。

ここで内村さんが言おうとしているのは、この世の生活はないがしろにしてもよいというのではなく、この世の様々なもの、地位や、名誉や、名声などというものに執着せず、そういうものから自由になる生き方、考え方ではないかと思います。
