ヨブ記の年代について確実なことは分かりませんが、物語の背景は古い時代で、おそらく族長時代であると考えられます。しかし、書かれた時代と物語の背景の時代は大きく隔たっている可能性があります。対話部分には、より高度な社会制度や技術を前提とした言葉や表現が使われています。実際の書かれた年代については、エドム人であるヨブを取り上げていることや、国際的交流が盛んであったことなどから推測できますが、決定的な証拠はありません。

著者については年代以上に手掛りがなく、参考になるのは使われている語句くらいです。アラム人やアラビヤ人が書いたものをヘブル語に翻訳したという説や、エドム人、エジプト人とする説もありますが、根拠は乏しいです。これらの特徴はむしろ著者の博学や文学的才能を示すもので、パレスチナに住んでいたことが確かであると推測されます。著者は古今東西の物事に通じた、当時最高の知識人であったと考えられます。

この書は独特の構造を持ち、散文体のプロローグ、詩文体の対話、散文体のエピローグがあり、枠のような役割を果たしています。対話の部分も整然とした構造になっています。物語の背景の時代と著述の年代の隔たりを考慮すると、事実の記録よりも創作された文学作品、戯曲と考えるほうが自然です。ただし、舞台で演じることを目的とした戯曲ではありません。

この書が文学作品であっても、ヨブの史実性は問題ではありません。ヨブは他の聖書の箇所でも実在の人物とされています。問題はどこまでが事実で、どこまでが著者の創作かです。恐らく、ヨブの物語は古くから伝わっていて、著者はそれを資料に神学的目的を持って脚色したと思われます。この書の史実性は歴史書ほど問題にならず、歴史を超えた普遍的真理を伝えることが目的です。

ヨブは、家族と財産を失い、重い病気に苦しみ、信頼していた妻にも裏切られるという苦難に見舞われました。友人たちは、ヨブが罪を犯したために報いを受けていると考え、ヨブに改心を促しましたが、ヨブはそれに反発し、自分が罪を犯していることは認めるものの、苦難の原因がそれだけではないことを訴えました。最終的に、神がヨブを試すためにサタンに許可したことが明らかになります。友人たちの考え方は的外れであり、苦難の理由は人間には理解できないことが示されました。ヨブは、神を信頼し、苦難の中で自分を責めず、また神を責めずにいるように勧められます。また、ヨブは、自分と神との間に立つ仲裁者の必要性を感じており、後にイエス・キリストがそれを果たすことになるという意味があります。

アウトラインは以下のようになります。

1。プロローグ(1:1-2:13

1)ヨブについての紹介(1:1-5

.ヨブの人となり(1

b.神の祝福(2-4

.ヨブの宗教生活(5

2)天上における第1の場面(1:6-12

.主の自慢(6-8

b.サタンの批判(9-11

.主の許し(12

3)第1の試練(1:13-22

.試練(13-19

b.ヨブの対応(20-22

4)天上における第2の場面(2:1-6

.主の自慢(1-3

b.サタンのヨブに対する批判(4-5

c.主の許し(6

5)第2の試練(2:7-10

a,病気による試練(7-8

b.妻による試練(9

.ヨブの対応(10

63人の友の来訪(2:11-13

2,ダイアローグ(3:1-42:6

1)ヨブの嘆き(3章)

2)友人たちとの論争(4-31章)

.エリファズの第1回弁論(4-5章)

b.エリファズヘのヨブの答(6-7章)

.ビルダデの第1回弁論(8章)

d.ビルダデヘのヨブの答(9-10章)

e.ツォファルの第1回弁論(11章)

f.ツォファルヘのヨブの答(12-14章)

g,エリファズの第2回弁論(15章)

h.エリファズヘのヨブの答(16-17章)

i.ビルダデの第2回弁論(18章)

j.ビルダデヘのヨブの答(19章)

k.ツォファルの第2回弁論(20章)

1.ツォファルヘのヨブの答(21章)

m,エリファズの第3回弁論(22章)

.エリファズヘのヨブの答(23-24章)

.ビルダデの第3回弁論(25章)

p,ビルダデヘのヨブの答(26章)

q.ヨブの最後の弁論(27-31章)

3)エリフの弁論(32-37章)

.エリフの発言の理由(32章)

b.エリフの弁洽その133章)

.エリフの弁論その234章)

d.エリフの弁論その335章)

.エリフの弁論その436-37章)

4)主の言葉(38:1-42:6

a,主の第1回目の挑戦(38:1-39:30

b.ヨブの第1回目の答(40:1-5

.主の第2回目の挑戦(40:6-41:34

d.ヨブの第2回目の答(42:1-6

3.エピローグ(42:7-17

1)友人たちのためのとりなし(7-9

2)ヨブの回復(10-17

日本の聖書では、旧約聖書は「モーセ五書」「歴史書」「詩歌」「預言書」の4つの区分に分けられ、ヨブ記は詩歌に含まれています。これは4世紀のウルガタ訳聖書以来の伝統ですが、ヘブライ語聖書では「律法」「預言者」「諸書」の3部に分けられており、順序も異なっています。ヨブ記は「諸書」に属しており、「諸書」は様々な性格の書巻が含まれる「その他」の区分です。ヨブ記、箴言、詩篇の3巻は、ヘブライ語名の頭文字を並べると「真理」という言葉になるため、一まとめにして呼ばれることがあります。最近では、詩篇の一部や箴言、伝道者の書と一緒に「知恵文学」に分類されることが多いです。

 

 

ヨブ記は、ヘブライ語聖書(旧約聖書)の一部である詩篇・格言文学に分類される書物です。この物語は、ヨブという名前の裕福で敬虔な男性を主人公として、彼が試練と苦しみに耐える様子を描いています。物語は、神と悪魔の対話から始まり、ヨブの信仰が試される形で展開します。

悪魔は、神がヨブを保護しているために彼が信仰していると主張し、その信仰が真実であるかどうかを試すために、神は悪魔にヨブの試練を許可します。その結果、ヨブは財産、家族、健康をすべて失います。しかし、彼は信仰を失わず、神への不平や不信を表明しません。

ヨブの友人たちが訪れ、彼らは様々な議論を展開しながら、苦しみの理由について語ります。友人たちは、ヨブが何らかの罪を犯したために神の罰を受けていると考えますが、ヨブは自分の無罪を主張し続けます。

最終的に、神は嵐の中からヨブに語りかけ、自分の偉大さと人間の理解を超えた計画を示します。ヨブは神の力と知恵に敬服し、自分の無知を認めます。神はヨブの友人たちを戒め、ヨブの信仰を称えます。その後、神はヨブに以前の富と家族を取り戻し、さらに長寿を授けます。

ヨブ記は、苦難の意味、神の正義、そして人間の信仰と謙虚さに関する重要なテーマを扱っています。この物語は、古代中東の文学作品としても評価されており、宗教的な教えだけでなく、文学的価値も持っています。

ヨブ記にはいくつかの重要なテーマが含まれており、それらのテーマは宗教、哲学、倫理に関する問題に触れています。以下にそのいくつかを挙げます。

  1. 神の正義と悪の存在:ヨブ記は、神が全知で全能でありながら、なぜ悪や苦しみが存在するのかという問題に対処しています。これは「神の義」とも呼ばれる哲学的な問題であり、多くの宗教や哲学者がこの問題に答えを見つけようとしています。
  2. 個人の苦難の意味:ヨブ記は、個人が直面する苦難がどのような意味を持つのかを問いかけます。物語では、友人たちがヨブの苦難を神の罰と見なす一方、ヨブは自分の無罪を主張し続けます。最終的に、神はヨブの信仰を試す目的で試練を与えたことを明らかにします。これは、苦難が必ずしも罪や罰に関連しないことを示唆しています。
  3. 信仰と謙虚さ:ヨブは、試練に直面しても信仰を失わず、神に対する敬虔さを保ち続けます。また、神の知恵と偉大さに対する自分の無知を認めることで、謙虚さの重要性が強調されています。物語は、信仰と謙虚さが神に喜ばれる美徳であることを示しています。
  4. 友情と助言:ヨブの友人たちは、彼が苦しんでいる理由について助言をするものの、彼らの考えは必ずしも正確ではありません。この物語は、友情の意味や助言に対する態度についても考察するきっかけとなります。

ヨブ記は、文学的な価値だけでなく、これらのテーマを通じて人間の経験や宗教的な問題について深い洞察を提供しています。多くの人々にとって、ヨブ記は信仰、苦難、友情など、人生の様々な側面に関する普遍的な教えを含んでいます。

ヨブ記は、その古典的な文学的要素や豊富なテーマ、洞察によって、今日まで広く読まれ続けている宗教文学の傑作です。以下に、ヨブ記に関するさらなる情報を提供します。

  1. 文学的要素:ヨブ記は、詩篇・格言文学の形式を採用しており、神や人間との対話が詩的な形で表現されています。そのため、物語はリズムや象徴、隠喩を含む美しい文学的表現で読者に訴えかけます。ヨブ記は、古代中東の詩の形式と、様々な文学的要素を組み合わせた独自のスタイルを持っています。
  2. ヨブ記と他の宗教文学:ヨブ記は、他の宗教文学や哲学との共通点も持っています。例えば、古代ギリシアの哲学者エピクテトスは、「エンヒリディオン」で苦難の意味について議論し、ヨブ記のテーマに類似した考え方を示しています。同様に、仏教やヒンドゥー教の文学作品も、苦難や人生の意味についての普遍的な問いを扱っています。
  3. 解釈と影響:ヨブ記は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の各宗教において異なる解釈がなされています。キリスト教では、ヨブの信仰と忍耐が模範とされ、神の恵みを受けるための条件として強調されます。ユダヤ教では、ヨブ記は神の正義や苦難の意味についての研究対象とされています。イスラム教では、ヨブはアイユーブ(Ayyūb)と呼ばれ、預言者の一人とされており、忍耐と信仰の模範とされます。
  4. 現代の適用:ヨブ記は、現代の人々にも人生の苦難や痛み、喪失に関する普遍的な教えを提供しています。人々は、ヨブ記を通して、困難な状況においても信仰を持ち続ける重要性や、友人や家族と共に喪失や苦難を乗り越える力を見出すヨブ記の物語は、数世紀にわたって様々な分野で影響を与えてきました。以下に、その影響や関連性をいくつか挙げます。

  1. 芸術と文学:ヨブ記は、芸術や文学の世界でも広く影響を与えてきました。中世から現代までの様々な時代の画家たちが、ヨブの苦難や神の出現など、物語のエピソードを描いています。また、詩人や小説家たちも、ヨブ記を題材にした作品を書いており、物語の普遍性が現代の文学にも引き継がれています。
  2. 神学と哲学:ヨブ記は、神学や哲学の分野での議論の対象となっています。神の正義や苦難の意味といった問題は、多くの神学者や哲学者が取り組むテーマであり、ヨブ記が提供する洞察は、これらの議論に大きな影響を与えています。
  3. 心理学:ヨブ記は、心理学の観点からも分析されています。ヨブの苦難に対する反応や、友人たちの助言に対する態度などは、人間の心理や感情に関する洞察を提供しています。また、ヨブの信仰や謙虚さといった美徳は、現代の心理学においても重要なテーマとなっています。
  4. 倫理学:ヨブ記は、倫理学の分野でも重要な対象となっています。物語が扱う神の正義や人間の苦難といった問題は、道徳や倫理の基礎を形成する要素であり、ヨブ記の教えが現代の倫理学においても意義を持っています。
  5. 現代社会への適用:ヨブ記の物語は、現代社会においても関連性を持っています。例えば、病気や失業、家族の喪失といった困難に直面した際、ヨブの信仰や忍耐を見習って、人々は自分自身や他者を助ける方法を見つけることができます。また、ヨブ記は、友情や助言に関する洞察を提供し、人間関係を築く上での役割や重要性を示唆しています。ヨブの友人たちの例から、助言を与える際には慎重であることが重要であることが示されています。また、友人たちの誤った助言に対してヨブがどのように対処したかを通して、人々は自分自身や他者の助言に対する態度を考え直す機会を得ることができます。
  1. キリスト教とユダヤ教の共通点:ヨブ記は、キリスト教とユダヤ教の両方で重要なテキストとされており、両宗教の間で共有される普遍的な価値観を示しています。この物語は、両宗教の信者が信仰や苦難に関する共通の理解を持つことを助け、対話の土台となります。
  2. 比喩としてのヨブ:ヨブは、信仰と忍耐の象徴として広く知られています。ヨブに例えられることは、困難に直面しても信仰を失わず、忍耐強く立ち向かう姿勢を意味します。そのため、ヨブの例は、人々が困難な状況においても信仰や忍耐を持ち続けることの重要性を教えてくれます。

総じて、ヨブ記はその普遍的なテーマと豊かな洞察によって、宗教、哲学、倫理、心理学、芸術、文学など、多くの分野で影響を与えてきました。また、現代社会においても、ヨブ記は人々が困難な状況に立ち向かい、友情や助言を大切にすることの重要性を教えてくれる価値あるテキストです。