正確な情報こそが必要 3

この世に生きるキリスト者として、この世界に起こっている正確な情報を受け止めていく努力と祈ることがまず求められていると思います。今マスコミによって伝わってきている情報は、戦時中の大本営発表に似ていると言われた方もあります。本当に知るべき情報が伝えられていない。真実を見極めることの困難を覚えるような時代であることも感じられます。今のような時代に生きるキリスト者として、このことを考える上で、改革長老教会岡本契約教会の滝浦牧師の見解をご紹介いたします。

教会がこの世の権力とどう闘うか

キリストへの信仰には、聖書の聖書神学的基本構造である「キリストの王権(着座)」の信仰が、復活信仰と一体のものとして重要である。旧約聖書の詩篇においては、「主は王である」という告白が繰り返される。捕囚後、特に帰還後の預言者や聖書正典結集の土台は「メシヤの契約と王権」だった。
 マタイの福音書のテーマも「王の到来」であり、復活の主の宣教命令は「神の国による主の王権成就」宣言だった。今、復活のキリストは、仲保者なる王として御座に着き、教会とクリスチャンのために働き人を立てて世界を支配しておられる。私たちは、この復活と仲保者王権の現実と希望の上に立って、この世で召され生きている。当然、日本人である私たちは、この主の復活の王権を直接当てはめ、証しし、生きるべき者だ。
 従って、聖書信仰がなければ、聖書をまっすぐに信じ、キリストの十字架への信仰と共に、その復活と王権への福音信仰をもてなければ、この世の権威に対し、キリスト者として政治的に一貫して戦うことも成り立たない。信仰に一貫する幻を持ち、粘り強く戦い続

けることはできない。
 歴史上の教会のこの世の権力の誤りに対する真の戦いは、福音信仰に土台があった。初代教会はローマ帝国に対し、甦りのキリストの王権が事実いかに勝っているかを確信して粘り強く戦い抜いた。イギリス宗教改革史においては長い王との対立を通し、後世のために人権や自由を勝ち取って残した教会は、甦りの王キリストにこの世で仕えることを心から信じるピューリタンたちの福音的信仰によって戦った。

日本でもキリストの再臨の事実に言及したホーリネスが弾圧を受け証しを残した。韓国では、素朴な聖書改革信仰の訓練を受けた長老教会が中心となり、日本の政治的弾圧の下で戦った。「キリストの王権」こそ、この教会のこの世の権威に対する戦いの土台となる聖書教理である。
 従って、この日本の国で「キリストの王国」にどう仕えるかは、日本宣教の根本問題である。その根底に認識すべき戦いとは? なぜ日本の教会は骨抜きにされ崩壊するのか? その理由は「カイザルの国」の崇拝に飲み込まれる偶像礼拝の圧力にある。

プロテスタント日本伝道の困難は、100年以上にわたる偶像崇拝を国家神道を超宗教とし迎合したという、冷徹な事実の構造だ。単なる教会成長では乗り越えられない。
 例えば宗教的自由と宗教的寛容の混乱がある。宗教的自由とは天与の人権であり、為政者は認識し擁護せねばならぬ義務があるのに、宗教的寛容は、宗教の領域においても為政者が至高であるとの考えに立つ。その概念は、クリスチャンの教育上の権利の否定、市民的忠誠の保証としての(偶像)崇拝儀礼への参加の強要、キリスト教宣教団体と教会が為政者の支配を受けるようにという要求、といった官吏による制限に帰結する(J・ヴォス)。国家神道は宗教ではないし、国家を宗教を超越した超宗教とは我々は認めない。国家は宗教的団体を統制する権限はない。神のことへの国家の侵入は教会にあるキリストの王権の侵害だ。
 では私たちキリスト者、教会は何をすべきか。私たちの仲保者(救い主)、教会を守るために国々の王でもあられるキリストの支配があるのだから、まさに国家社会のために「祈る」ことに戦いの中心はある。キリストの王権という保証をもって祈る時、祈りはパワーがある。そして、どんな時にも、地上から天の御座に目を注ぎ、「信じ礼拝」し揺るがない。支配しておられる王に期待し、御心に沿って「発言し行動」する。私たちのすべての社会的アジェンダの根拠を洗い直し、一般的な政治的主義主張を移入して聖書の言葉をまぶして提供するような安易な方法を戒め、聖書的神学的に明確なものに変える。その軸となるのがキリストの王権の神学だ。

以上は、201798日、滝浦牧師が第25回信州夏季宣教講座においてはなされたものです。講演題は「「教会がこの世の権力とどう闘うか」 キリスト王権こそ闘いの土台 キリスト王権こそ闘いの土台」でした。

「教会がこの世の権力とどう闘うか」という題のお話ですが、実際のところは、「教会がこの世の為政者たちに協力する」という側面もあると思います。どちらの場合においても、私たちは、事実を理解し、神の御心に従うという在り方が求められています。日本キリスト改革派教会が生まれたのも、戦時中の日本の教会が戦争に加担し、その誤りを正そうともせず、神の前に罪を犯してしまったことを悔い改めて、み言葉によって自らを改革し続ける改革派教会をたて上げたのでした。

神は、人間が営む地上の歴史・国々の興亡をすべて支配しておられ、国々の支配者も神の御心に従って立てられ、倒される、と聖書は教えています。

神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。(使徒17:26)
神は季節と時を変え、王を廃し、王を立て、知者には知恵を、理性のある者には知識を授けられる。(ダニエル2:21

神様がこの世界のあらゆるものに命を与え、育み、摂理の御手をもって治めておられても、この世の為政者たちがこの神を知り、神の御心を行おうとしているとは限りません。むしろ、この世界の歴史を振り返るならば、この世の権力者たちは神に従おうとするよりは、自分自身の権力を拡大したり、私利私欲を求めて、民衆を犠牲にすることもしばしばでした。私たちキリスト者は、このような罪の世にあって、神の御心を行って生きるように求められているのです。これは一言で言えば以下のことです。

22:37 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』

22:38 これが最も重要な第一の掟である。

22:39 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』

22:40 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイ22:37~40)

さらに、レビ記19章には次のように記されています。

「◆聖なる者となれ

19:1 主はモーセに仰せになった。

19:2 イスラエルの人々の共同体全体に告げてこう言いなさい。あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。

19:3 父と母とを敬いなさい。わたしの安息日を守りなさい。わたしはあなたたちの神、主である。

19:4 偶像を仰いではならない。神々の偶像を鋳造してはならない。わたしはあなたたちの神、主である。

19:5 和解の献げ物を主にささげるときは、それが受け入れられるようにささげなさい。

19:9 穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。

19:10 ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。わたしはあなたたちの神、主である。

19:11 あなたたちは盗んではならない。うそをついてはならない。互いに欺いてはならない。

19:12 わたしの名を用いて偽り誓ってはならない。それによってあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。

19:13 あなたは隣人を虐げてはならない。奪い取ってはならない。雇い人の労賃の支払いを翌朝まで延ばしてはならない。

19:14 耳の聞こえぬ者を悪く言ったり、目の見えぬ者の前に障害物を置いてはならない。あなたの神を畏れなさい。わたしは主である。

19:15 あなたたちは不正な裁判をしてはならない。あなたは弱い者を偏ってかばったり、力ある者におもねってはならない。同胞を正しく裁きなさい。

19:16 民の間で中傷をしたり、隣人の生命にかかわる偽証をしてはならない。わたしは主である。

19:17 心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。

19:18 復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。

19:19 あなたたちはわたしの掟を守りなさい。二種の家畜を交配させたり、一つの畑に二種の種を蒔いてはならない。また二種の糸で織った衣服を身に着けてはならない。

19:30 わたしの安息日を守り、わたしの聖所を敬いなさい。わたしは主である。

19:32 白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい。わたしは主である。

19:33 寄留者があなたの土地に共に住んでいるなら、彼を虐げてはならない。

19:34 あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。なぜなら、あなたたちもエジプトの国においては寄留者であったからである。わたしはあなたたちの神、主である。

19:35 あなたたちは、不正な物差し、秤、升を用いてはならない。

19:36 正しい天秤、正しい重り、正しい升、正しい容器を用いなさい。わたしは、あなたたちをエジプトの国から導き出したあなたたちの神、主である。

19:37 わたしのすべての掟、すべての法を守り、それを行いなさい。わたしは主である。」(レビ記19章抜粋)

これは、18節で言われている「あなたの隣人を愛せよ」ということの具体的な教えということができます。これは、どの時代であれ、どの国や民族であれ、すべての人が守るべき掟であるということが出来ます。

今の日本の国にこの掟を適応してみたらどうでしょうか。私たちの国は、そして私たち自身は神の御心に従っていると言えるでしょうか。

教会の「見張り」としての役割

 預言者エゼキエルは神によって立てられた「魂の見張り人」の働きについて私たちに語っています。「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたが、わたしの口から言葉を聞いたなら、わたしの警告を彼らに伝えなければならない。」(エゼキエル337)と言われています。

エゼキエルが預言者として活躍した時代(BC6世紀)に、遠方への情報伝達は伝令を走らせるかのろしを上げて合図を送る方法が用いられていたようです。町の城壁に配置された見張り人は遠方で立ち上るのろしを見てラッパを鳴らし城内に住む人びとに報せました。見張り人の責任は重大で、多くの人の生死が掛かっていて間違いなく伝えなければなりません。この場合、見張り人からの警告を受けとめていても、それに備えず被災した場合、その責任は見張り人に問われません。しかし、見張り人が伝えることを怠っていたならば、その責任は見張り人に求められたのです。

教会の「見張り」としての役割は、この他にも旧約聖書によって示されています。イザヤ書62章6節は次のように言われています。

エルサレムよ、あなたの城壁の上に、わたしは見張りを置く。

「見張り」とは城門や塔に昇って、城壁に囲まれた町や陣営の内外を監視する役割です。戦のときには敵の襲来に備える、ということもありますが、「見張り」つまり「門衛」には、町の人々に時刻を告げるという日常的な役割もありました。特に夜明けを告げる彼らの働きは、イスラエルの信仰者たちによって救いの到来を指し示す重要な象徴となりました。詩編130編には次のような美しい詩が生まれています。

わたしの魂は主を待ち望みます、

見張りが朝を待つにもまして、見張りが朝を待つにもまして。

『讃美歌』176番にも「起きよ、夜は明けぬ」と歌われているように、夜明けの太陽は、救い主の到来を表します。そして、長い夜を待って、暗闇の中に光が差し込んできた時に、見張りの役割はその光の到来をいち早く人々に告げるために、大きく呼ばわることでした。

「見張り」の役割は、確かに目を凝らして「見る」ことから始まりますが、その実際の働きからは更に二つの特徴を挙げることができます。まずは、今記したように、「見張り」はしるしを見つけてお終いではなくて、見つけた後は伝えなくてはなりません。「見張り」は同時に「伝令」でもあります。

6節では、続けて二度も「決して沈黙してはならない」と繰り返されています。これは、「主に思い起こしていただく役目の者」と言われる「見張り」に呼びかけられた言葉です。

ここでの「見張り」は預言者です。『ハバクク書』2章でも、預言者が「見張り」と呼ばれています。

わたしは歩哨の部署につき、砦の上に立って見張り、

神がわたしに何を語り、わたしの訴えに何と答えられるかを見よう。

預言者が「見張る」のは、敵の襲来に備えるためであり、イスラエルに真実を伝え、あるいは警告し、神の答えを見るためです。そして、預言者は見たこと、聞いたことを、神の言葉として人々に語り告げます。

「見張り」である預言者は、彼が見たしるしの中に神の言葉を聞き取ります。その言葉は人々が神に背いた時には警告となります。捕囚期にバビロンで活躍した預言者エゼキエルもまた神から「見張り」に任命されました(3章17節)。そして彼の役割は悔い改めない民に対して警告を発することでした。後には彼の仲間であった別の預言者が見張りとされますが、そこでは次のように振る舞えと命じられます。

彼は剣が国に向かって臨むのを見ると、角笛を吹き鳴らして民に警告する。しかし、見張りが、剣の臨むのを見ながら、角笛を吹かず、民が警告を受けぬままに剣が臨み、彼らのうちから一人の命でも奪われるなら、たとえその人は自分の罪のゆえに死んだとしても、血の責任をわたしは見張りの手に求める。  (33章3節、5節)

エゼキエル自身もまた、見張りとして民に警告を発し、神の言葉を伝える役目を同じように果たすよう求められました。

教会が見張りの役目を果たすという時に、まず私たちが心に思うのは、この「警告を発する」という預言者の働きについてでしょう。語った言葉がどう相手に通じたかはともかくとして、語らなかったために相手が罪に陥ったというような場合には「見張り」の責任が問われます。警告を発するのは流血を避けるためです。それが、神が求めておられることです。しかし、教会が恐れて語るのを止めてしまうならば、それでもし血が流されるような事態に陥った時、責任は語らなかった私たちにあります。教会はそういう預言者的な使命を与えられているがために、世の動きに対して敏感でなければなりません。「決して沈黙してはならない」のは、まずはそのように警告を発するという務めのためです。

しかし、教会が預言者として社会に対して語り続けるのは、もう一つ積極的な側面があります。しるしを見て、神の言葉を伝える見張りの役割は、救いの到来を知らせること、すなわち、福音宣教です。イエス・キリストのうちに、神の救いが現れました。それは、暗闇に光が差し込んだ出来事でした。聖書からそのしるしを受け取った私たちは、それを語るために黙ってはいられません。これもまた「見張り」の役割に違いありません。

日本キリスト改革派教会が、例えば、「天皇「代替わり」の諸行事に関して政教分離と国民主権の原則を厳守するよう求める声明」や「大阪府「君が代」起立条例への抗議、並びに教育・職員基本条例案の撤回要請」、「教育基本法「改正」に反対する声明」、「安保関連法案」の強行採決への抗議と同法制の廃止を求める声明」などを出してきたのは、教会が見張り人としての働きを覚えてのことです。

そもそも、エゼキエルが語ったような警告も、イザヤが伝える福音の告知も、実に一つのことを語っています。つまり、神の到来です。私たちの時代では、イエス・キリストの再臨による審判と救いのメッセージです。神に背いた結果、悲惨が身の上に及ぶという裁きの警告を聞くことがなくては、救いの来る方向に向き直ることもありません。太陽が昇ったことを知るためには、今まで闇夜の中にいたことを知らなくてはなりません。イザヤが救いの到来をエルサレムの人々に語った時、彼らは捕囚の裁きを十分に味わっていました。捕囚の時代には「主の沈黙」がありました。神の言葉が聞けなくなってしまう。神からの答えが途絶えてしまう、ということです。イザヤは、そうした神の沈黙を招かないように、語り続けよ、と見張りの者に呼ばわりました。

「見張り」が「主に思い起こしていただく役目の者」と言われているのは、そこに「見張り」のもう一つの働きがあるからです。「見張り」は預言者として、人々に語るばかりではありません。民を代表して神に向かって語る役目もあります。教会は世を代表して神に呼ばわる「見張り」の務めを負っています。「主に思い起こしていただく役目」とは、元の語は、「主に思い出させる人々」ということです。もちろん神様は、すべてをご存知です。しかし、神が私たちに求めておられることの一つは、預言者たちのように、民の執り成しの祈りをささげることです。そのためには、預言者たちはこの世界に起こっている出来事を正しく理解し、人々の心の痛みに寄り添うことが求められました。教会は、執り成しの祈りをささげることで、人々の心の思いに寄り添います。世に対して警告を発するばかりでなく、福音を積極的に示しながら国家と為政者たちのためにも祈ります。

さらに、もう一つ「見張り」ということから示されるのは、そもそも「見張る」という語は「守る」という通常の言葉です。「正確な情報こそが必要2」において、「種苗法改正」の議論が行われていることをご紹介いたしました。紙面の都合もあり、あまり詳細なご紹介は出来ませんでしたが、今世紀になって、従来行われてきた生命の営みが大きく崩されてきて、自然のものが不自然なものに変わり、現在日本で流通されている種のほとんどは子孫を残すことが出来ないF1種になってしまっております。しかも農家の方々が従来してきたような自家採取が禁止されるという事態がもたらされようとしているのです。人々の生命が危機に瀕するようなことについて、教会もよくわきまえておくことが必要でしょう。

人々を「守る役割」については、外敵から守るという働きが大きいのですが、『ネヘミヤ記』13章を見ると、その門衛の仕事として、安息日を正しく守るために門の開け閉めを行う役割もあります。警備だけが任務ではなくて、安息日に商売をさせない、というような、民の務めを守ることもその役割でした。『歴代誌下』13章には、聖所で日毎の務めを守る人々のことが書いてあります。日毎の犠牲をささげ、香をたき、テーブルにパンを供える。夜になれば燭台に火を灯す。そのように神に対する務めを忠実に守ります。

城壁の上で見張る役割は長い時間、外を見守る弛まない働きです。うっかりしるしを見逃すと、町が危険に陥ります。つまり、「見張り」は神と民に対する忠実な務めであって、そういう神に対する働きかけがあってこそ、人々のいのちが守られていきました。

 

キリスト者の社会的使命

私たちは、教会の内外に対して「見張る」役割を神から委ねられています。それは、キリスト教会の社会的な使命です。私たちの弛まない礼拝と、この世に対する働きかけとは何よりもまず、神の言葉を語り続ける働きです。「決して沈黙するな」と預言者は語っています。それは、まだ救いが完成していないからです。やがて、神の真実がすべての人々の目に明らかになるその日まで、教会は沈黙してしまうわけにはいきません。神が求めておられる平和と自由とが脅かされる時には、臆せずに教会は警告を発することが必要です。そして、キリストによる救いの到来をはっきり告げて、罪の重荷に苦しむ人々に自由と解放とを語って行かねばなりません。信教の自由を守るために集会を開くということも、教会の宣教の業の一つに数えられます。「見張り」の役目を積極的に果たすために、私たちはもっと行動的になってよいと思います。聖霊の賜物を願って、神の宣教のお働きに用いていただきましょう。

さらに、どなたでもできる働きとして祈りがあります。ホイベルス神父は、「最上のわざ」という詩において、「神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ--。」と述べておられます。これが最も重要な働きと言えるかもしれません。コロナウィルスの広がりとともに、世界中の人々が感染や死の不安を抱えています。経済的な困窮の中におられる方もあります。医療関係者の方々の働きのためにも、為政者たちの働きのためにも、また、私たちのいのちを脅かそうとする者たちから守られるように、人々が真理にとどまることが出来るように、とりなしの祈りをささげていきましょう。

現代も行われている迫害

さらに祈りの課題として覚えていきたいことですが、コロナウィルスが広がっていると言われ、ロックダウンや自粛要請が出ているときですが、このような時も世界の各地では、宗教者、とくにキリスト教会に対する迫害が起こっています。

1:中国におけるウイグル人の迫害

かねてから、中国政府がイスラム教徒を中心とした新疆ウイグル自治区の住民を迫害していることが知られていますが、近年に入り強制収容所は急拡大していることが明らかになっています。こうした強制収容所に抑留されている人々は、100万人以上にも及ぶと言われています。以下には、かつて再教育施設にいたオムル・ベカリさんの証言です。FNN上海支局 城戸隆宏さんが記事にしているものです。

中国・新疆ウイグル自治区で、100万人のウイグル族が再教育施設に拘束されているとする問題で、施設の元収容者が来日し、衝撃の実態を語った。

「地面に固定された鉄製の椅子に手足を鎖で縛られ、24時間、4日間、拷問を受けた」
施設での状態を再現するため手足を鎖で縛ったオムル・ベカリさん(42)は、淡々と話し始めた。
 新疆ウイグル自治区出身でカザフスタン国籍のオムルさんは、2017年に8カ月にわたり中国当局に身柄を拘束されながら奇跡的に解放された。大阪市内でアムネスティ・インターナショナルが開いた講演会で、収容生活の実態を語った。
 2006年にカザフスタンに移住しカザフ国籍をとったオムルさんは、旅行会社の副社長を務めるなどビジネスに力を発揮していた。しかし、20173月、仕事で中国を訪れた際にそれは起きた。新疆ウイグル自治区トルファンにある実家に立ち寄ったところ、突然、現れた5人の警察官に手足を縛られ、頭に黒い袋をかぶされて連行されたのだ。
 そこからは地獄の日々だったという。国家分裂を図った””テロ行為に加担したという罪を自白するよう責められ、拒否すると拷問が4日間も続いた。その後、動物のようにコンクリートの壁に固定された鎖で脚をつながれた状態で3か月過ごした。
 精神的拷問もあった。中国国歌や中国共産党をたたえる歌を繰り返し歌わされたり、イスラム教が禁じる豚肉を食べるよう強制されたりした。
 施設には、同じように鎖で縛られた10代から90代までの男女がいたという。オムルさんは、自分はカザフ国籍で、大使館や弁護士、家族に連絡したいと訴えたが許されず、7カ月と10日、24時間縛られた状態で過ごすことになった。

 中国の再教育施設

ウイグル族は1100万人いるとされるが、国連や人権団体などは100万人が拘束されていると指摘されている。約10人に一人の割合だ。中国当局は施設の存在を否定してきたが、201810月、施設を職業訓練や中国語学習を行う職業技能教育訓練センターと定める条例を施行し存在を認めた。
 自治区高官は、中国メディアに対し「テロや宗教的過激主義がはびこる土壌を取り除くのが目的」とし、「職業訓練を通じ多くの人が自らの過ちを反省し、テロ主義や宗教過激主義の本質と危険をはっきりと認識し、過激主義の浸透に抵抗する能力を高めた」と拘束を正当化した。また、「異なる民族や信仰の、風俗・習慣を尊重し、栄養豊富な食事も提供され、最大限に人々の要求を満たすよう保証している。」と強調した。

「手足を鎖で縛られたこの状態こそ、中国が言う人権・民主だ」

毎日、共産党・習近平礼賛を強制

オムルさんは、連行から7カ月後、職業技能教育訓練センターに移された。15㎡ほどの部屋に、手足を鎖で縛られた4050人がいた。シャワーはなく、食事も睡眠もトイレも同じ部屋だった。

4時:起床。1時間ほど布団をきっちり四角に畳む練習。
5
時:共産党や国家をたたえる歌を歌う。
6
時:全員が壁に向かい一列に並び、スピーカーから流れる国歌を一緒に歌う。
7
時:朝食(饅頭1つとお粥か野菜スープ)
8
時:共産党を称える歌を繰り返し歌う。中国のウイグル政策の素晴らしさ、分離独立主義者や過激主義者の定義など、プロパガンダ政策を繰り返し勉強。
12
時:昼食(朝食と同じ)。食事前に「共産党がなければ新しい中国は無い。社会主義は素晴らしい」などの歌を繰り返す。食事が来ると全員で「党に感謝、国家に感謝、習近平に感謝、習近平の健康祈る、国家の繁栄祈る」など、大声で3回、きっちり声が出るまで繰り返し、食事。午後も、プロパガンダ学習を繰り返す。

トイレには、決められた時間にしか行けず、23時間待つこともあった。学習と会話は全て中国語。カザフ人のオムルさんは拒否したが、従わないと拷問を受けた。豚肉を食べることを拒否しても同様だった。

拷問は、警官が持つ棒で20回ほど背中を殴られ、壁に向かって24時間まっすぐ立たされる。固定された鉄製の椅子に座り、手足を椅子に鎖で縛った状態で24時間。2日も3日も、反省の態度を示すまで縛られ、食事も水分も与えられない。5㎡ぐらいの真っ暗な部屋に24時間閉じ込められたり、真夏に暑い場所にパンツ1枚で立たされたり、冬に氷の上に裸足で立たされ水をかけられることもあった。天井から両手を吊るされ、汚水の池に首まで浸からされた人も見たという。

頻繁に人が入れ替わったが、連れていかれた人がどうなったか、一切分からない。病気で亡くなる人もしょっちゅういた。同じ部屋の2人が目の前で死ぬのを見たという。
  生きて出られる人はほとんどいないとされる中、オムルさんはカザフ政府の関与で、201711月奇跡的に解放された。115キロあった体重は、8カ月で60キロにまで落ちていた。
「ナチスによる迫害を描いた映画に登場する極度にやせた捕虜のようだった」

施設で亡くなった父親の遺体は返されず・・・「なぜそこまでやるのか」

家族も・・著名人も次々と拘束

オムルさんの家族や兄弟も収容された。80歳の父親は、公務員を定年し年金生活をしていたが、収容された。中国語も話せる老人が職業訓練、中国語訓練の施設に収容されたのだ。父親は9月に施設内で亡くなったが、遺体は返されなかった。葬儀も、墓を建てることも出来ない。「なぜここまでやるのか」
 オムルさんは言う。「中国政府は、施設の映像をニュースで放送し教育センターだと宣伝したが、施設には、有名な大学教授、教師、弁護士、医師、成功したビジネスマンがいた。そんな人達に今さら何を訓練するのか」
  現代中国史が専門で、講演会でこの問題を解説した明治大学兼任講師の水谷尚子氏によると、元々はイスラム学を学んだ人、イスラムの宗教指導者などが収容されてきた。しかし、現在は、ウイグルの文化や学術を担う知識人、ウイグル人の中でもトップクラスの人達、例えば著名な学者、作家、音楽家、ジャーナリスト、詩人、ミュージシャン、スポーツ選手、経済を支える著名人が収容されているという。海外で学んだ人達も少なくなく、日本に留学し帰国して新疆の教育に携わった、日本とつながりの深い人もいる。


  外国で暮らすウイグル人も恐怖の中に

日本にも多くのウイグル人が暮らす。あるウイグル人男性は、「家族や知人が今無事なのかどうか分からない」と話す。自分から連絡はしないという。それが原因で中国政府に目をつけられる恐れがあるからだ。それでも「家族への思いと、民族を思う気持ちは別だ」とも話し、この問題を多くの人に知ってもらおうと活動しているという。水谷氏によると、外国で暮らすウイグル人のほとんどの人が、家族か友人か知人が収容されているという。「日本人は平和な時代、社会に暮らしているのでピンと来ないかもしれないが、こういうことが起きているのが現実。中国による民族浄化の犯罪を止めないといけない。中国は自ら止めることはないと思う。日本や国際社会は、人間として生きる権利が保障されるよう支援してほしい」  以上 (執筆:FNN上海支局 城戸隆宏)

臓器移植大国・中国の背景

中国では、欧米の10分の1程度の金額、しかも他国では2年も3年も待たなければならない適合臓器が、「たった数週間で見つかる」との謳い文句に各国から移植希望者が殺到している。もちろん、日本からの移植希望者も相当数含まれている。こうした状況は、かなり早い時期から国際的な注目を浴び、疑問視されていた。

中国における臓器移植の推移

 「中国はまず、死刑囚の臓器を使って臓器販売を始めた。しかし、世界的に臓器の需要は大きく、また病院にはお金が必要だったために、死刑囚の臓器だけでは供給が追いつかなかった。そしてそこに、法輪功の学習者が登場する。彼らは迫害され、人間性を奪われていた。人数も膨大で、身元不明という無防備な立場にあった。これらの要素が組み合わさり、法輪功学習者が、臓器のために殺された。摘出された臓器は外国人に売られ、中国にとっては数十億ドル規模のビジネスになった。」

中国では、生きたままの人間の新鮮な臓器が短時間で提供されている。臓器供給源となっているのは囚人や法輪功学習者だけではなく、ウイグル族やチベット族などの少数民族の他、家の教会のクリスチャンたちも対象になっていることが今回の民衆法廷で指摘されている。 ヨーロッパ各国や米国はここ数年、相次いで中国共産党による臓器摘出問題を公に非難している。 2016613日、米下院で343号決議案が満場一致で可決。「中華人民共和国で、国家認定のもとで系統的に合意のない良心の囚人から臓器が摘出されているという信頼性のおける報告が継続的に出されていることに関して懸念を表明する」「(犠牲者には)かなりの数の法輪功修煉者、その他の信仰を持つ人々並びに少数民族グループが含まれている」と言及している。

しかし、「日本での反応は、あまりにも鈍い」と指摘されている。

「中国の移植業界と日本とは深いつながりがある。日本人向けの移植ツーリズムの需要に応えた移植センターは、日本の移植ブローカーと連携している。日本で移植技術を学んだ移植外科医も多い。中国は日本から大量の移植関連薬剤を輸入してきた。日本政府が一部資金を提供している中国の移植病院もある。私が報告書を発表してから10年以上経過したが、中国の移植乱用に関して日本が共犯となることを避けるための措置はとられていない。日本の官僚も医療界も、何もしない。日本が何も言わず、何もせず、何も知らないと主張する理由は、能力が不足しているからではないはずだ。見て見ぬフリをしているだけだ。それは沈黙という共謀になる。」

以上は、BUSINESS JOURNAI 2019.7.22よりの引用、さらに、「中国における蔵王記移植を考える会」には、詳細な報告が記されています。

2:中国の家の教会・クリスチャンに対する迫害

  2018年9月、中国当局は、同国最大規模のプロテスタントの「地下教会」が認可なしで活動していたとして、この教会の閉鎖に踏み切りました。閉鎖されたのは、首都北京北部の目立たないオフィスビルの3階にあるシオン教会(Zion Church)。牧師の話によると、9日午後の礼拝後、当局者約70人が教会に踏み込んだとのことです。

中国の地下教会で洗礼を受けた男性

2020年4月にも、また5月初旬にも中国の家の教会で礼拝をささげている最中に警察がやってきて、教会にいる人々に暴行を加えたり、逮捕するという出来事が起こりました。この模様はユーチューブでも見ることが出来ますが、中国南部貴州省にある家の教会のヤン牧師とスー牧師が献金を不正に使っているという疑いで逮捕され拷問を受けました。二人は2009年の設立以降、中国の法律に従って、すべての宗教活動を当局に報告していたそうですが、政府当局者は頻繁にこの教会を標的にし、15年12月にはヤン牧師を逮捕、司法妨害と公的秩序を乱すために群衆を集めた疑いがあるとして告訴しました。ヤン牧師の妻は、釈放の日に彼を迎えに行きましたが、黒いフードを被されたヤン牧師が無認可の車両に乗せられたと主張。それから1カ月後、ヤン牧師は国家機密漏洩(ろうえい)容疑で告発されました。

ヤン牧師は拘留中に拷問を受け、家族もまた、ヤン牧師が昨年1月に2年6月の禁錮刑を言い渡される前に、脅迫を受けたそうです。山東省を拠点に活動するザオ・ヨンリン弁護士は、当局者がヤン牧師を虐待し、自白させたと非難しています。やがてこの教会「立石教会」は壊されました。同じくヤン牧師を弁護するチェン・ジャンガン弁護士は、中国政府が政治的迫害を行っていると言っています。

中国の教会は、何年にもわたってさまざまな弾圧を受けていますが、最近は政府側が大型教会を破壊する行為が続いています。2019年1月には、軍警察が山西省臨汾(りんふん)の金灯台教会の内部で爆弾を爆発させ、260万ドル(約2億8千万円)相当の建築費がかかった教会堂を破壊しました。

金灯台教会の破壊

 3:スリランカのキリスト教徒への暴力的弾圧

2019年4月21日に、スリランカ最大の都市コロンボをはじめとした複数の地域で自爆テロが相次いで発生。日本人1名を含む合計259人以上が犠牲となる大惨事になりました。このテロは、キリスト教の教会を主な目標としたもので、事件当日のキリスト教会には復活祭を祝うために集まった多くのキリスト教徒が詰めかけていました。
パキスタンで少数派であったキリスト教徒は、難民となってスリランカに身を寄せ、しばらくは穏やかな生活を送っていましたが、この爆破事件以来イスラム教徒が少数派のキリスト教徒を迫害する様相を呈している。

スリランカの捜査当局は自爆テロの実行犯として、イスラム過激派団体ナショナル・タウヒード・ジャマアの関係者9人を特定しており、犯行の背景には同国の人口の約9%を占めるイスラム教徒と、約7%を占めるキリスト教徒の激しい対立があったと指摘されています。また、マサチューセッツ州にあるホーリークロス大学の宗教学教授マシュー・シュマルツ氏によると、スリランカのキリスト教徒はイスラム教徒だけでなく、近年新しく誕生した過激派仏教組織ボドゥ・バラ・セーナの攻撃にもさらされているとのことです。

難民・庇護希望者を収容する施設は、受け入れた人数に対してあまりに狭い。固い床に薄いプラスチックシートや布を敷いた上に雑魚寝せざるを得ない。施設内は不衛生で、入所者は、発熱、感染、下痢などに悩まされている。しかし、周辺に対応できる医療施設はないとのことです。

プライバシーがないことは、女性にはさらに深刻な問題で、風呂やトイレ、洗面所も男女共用。避難した難民の中に少なくとも15人の妊婦がいる。その1人は助産婦が間に合わず、何の知識もない周囲の女性たちの必死の介助で子どもを産んだ。周囲から隠れて授乳する場所もない。夜間は、屋外で寝なければならず、日よけを使って見ず知らずの男たちから身を隠すようにして寝る。日中でも、周りで男たちが行き交い、プライバシーを確保できないとのことです。

4:トルコに住むキリスト教徒の危機

ネブラスカ大学オマハ校の政治学者Ramazan Kilinc氏によると、トルコに住むキリスト教徒は、1922年にオスマン帝国が崩壊してからたびたび差別にさらされてきたとのこと。この傾向は、イスラーム性や庶民性を前面に押し出したポピュリスト的政策により人気を得ているレジェップ・タイイップ・エルドアン氏が2014年に大統領に就任すると同時に、一層厳しいものになりました。
1914年にはトルコ地域に住むキリスト教徒は、25%を占めていましたが、2019年にはわずか0.5%未満にまで減少しています。Kilinc氏によると、トルコ国内では非イスラム教徒に対する陰謀論が渦巻いており、キリスト教徒は「外国の協力によりトルコ人のアイデンティティを傷つける存在」として目の敵にされているとのことです。

黒海沿岸の都市トラブゾンでは、2006年にアンドレア・サントロ司祭が殺害された聖マリア・カトリック教会を10人の暴徒が襲撃した。この襲撃では、近所のイスラム教徒が介入し、暴徒たちを追い払った。07年にキリスト教労働者3人が殺害されたマラティア県では、プロテスタント教会の窓を粉々に砕かれる襲撃事件があった。2016年には、クーデター未遂事件が起こりましたが、トルコ東部の2つの教会がこの最中に故意に破壊されたと報告されています。

以下は、「英国クリスチャントウデイ」の記事から引用いたします。

イスタンブールにある英国領事館の英国国教会チャプレンであるキャノン・イアン・シャーウッド氏は、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領に人権を尊重し、キリスト教徒の権利を擁護するように要請している。シャーウッド氏は英スペクテイター誌に、「何世紀にもわたってトルコに根付いているキリスト教徒として、私たちはトルコのキリスト教徒を取り巻く状況が変わってゆく有様に驚いています」と話した。シャーウッド氏は、キリスト教徒や他の非イスラム教徒への非寛容が増大する傾向に警鐘を鳴らし、現地の多くのキリスト教徒たちがトルコから逃げようとしていると語った。

「ローマ・カトリックの司教1人が殺害され、私たちの聖職者が脅迫され、10年前に1人の司祭が殺害されたことを心に留めてください。キリスト教の指導者の誰もが、もし彼らが正直であるなら、全く異様なことが幾つも起こっていると言うでしょう」

1世紀前、トルコ人の4人に1人はキリスト教徒であったが、少なくともそのうちの150万人が第1次世界大戦のアルメニア人虐殺で殺された。今日、かろうじて25万人のキリスト教徒が残っているとされてる。その数はトルコの人口の1パーセント以下である。その中でも一番多いのは正教会のキリスト教徒で、大多数のトルコ人はイスラム教スンニ派である。

米家庭研究協議会(FRC)のトニー・パーキンス会長は、「全ての人の関心」になるべきことは、今回のクーデター未遂事件がトルコのキリスト教徒と他の少数派の人々の将来にもたらす影響だと述べている。

「1915~23年の間に行われた、推定死者数150万人を出したアルメニア人キリスト教徒に対するトルコの虐殺の歴史(教皇フランシスコも最近認めた戦時中の残虐行為)を考えると、今トルコに住んでいる12万人のキリスト教徒たちは最も憂慮されるべき状況に置かれている」

パーキンス氏は、トルコにおけるキリスト教徒への迫害と殺害は続いており、何人かのキリスト教徒が1軒の家におびき寄せられ、身震いするような拷問を受け、殺害されてからまだ10年足らずしかたっていないと指摘している。また、教会は閉鎖され、キリスト教徒らは頻繁にののしられ、中傷されていると述べている。

以上は、「英国クリスチャントウデイ」からの引用です。

 

 5:アジアのキリスト教徒、3人に1人が迫害受ける

中国安徽省阜陽市にある教会で開かれたクリスマスイブのミサに出席する聖歌隊

AFP通信によると、アジアではキリスト教徒の3人に1人が頻繁に迫害に直面しているとのNGO報告書が2019年3月に発表されています。世界各地で宗教を理由とした脅迫や暴力が「衝撃的に増加」しており、中国とサハラ以南アフリカで特にその傾向が顕著だとされています。

キリスト教徒に対する迫害状況を監視している超宗派のキリスト教伝道団「オープン・ドアーズ(Open Doors)」によると、中国では約1億人のキリスト教徒の約半数が迫害に遭ったことがある。「宗教上の表現の自由を制限する新法」が導入されたことで、「過去10年余りの期間で最悪」の状況となっているとのことです。

オープン・ドアーズの報告書「ワールド・ウオッチ・リスト(World Watch List)」2019年版によれば、世界規模でもキリスト教徒への迫害は6年連続で増加し、9人に1人に相当する24500万人が迫害を経験しました。前年は21500万人で、12人に1人でした。

「迫害を受けたキリスト教徒の数は世界で前年比13.9%増えたことが、データから判明した」と、オープン・ドアーズ英国・アイルランド支部トップのヘンリエッタ・ブライス(Henrietta Blyth)氏は説明しています。

報告書はまた、キリスト教を信仰していたために殺害された人は2018年、世界で4300人を超え、うち3700人以上がナイジェリアで犠牲になったと指摘しています。ナイジェリアのキリスト教徒の死者数は前年比で2倍近く増えましたが、その背景にはイスラム過激派組織「ボコ・ハラム(Boko Haram)」による襲撃と、イスラム教を信仰する遊牧民フラニ(Fulani)人による襲撃が「ニ重の脅威」となっている現状があるといわれています。

「アフリカはキリスト教徒に対する暴力の多発地帯となっている」と、オープン・ドアーズのフランス支部代表のミシェル・バルトン(Michel Varton)氏は述べています。

報告書に掲載された「最も迫害の度合が高い」50か国のリストでは、2002年から継続して北朝鮮が1位となっています。北朝鮮では宗教的抑圧が強まっている兆候がありますが、「キリスト教が禁止され政治犯罪とされる」同国に関するデータの入手は困難だとオープン・ドアーズは指摘しています。2位以下はアフガニスタン、ソマリア、リビア、パキスタン、スーダンと続き、「ヒンズー教の過激派が処罰されないままキリスト教徒や教会を襲撃する事件が相次いでいる」インドが初めて10位に入っています。

以上みてきたことは、いずれも日本のマスコミではほとんど報道されることのないものですが、このような実態を理解しつつ、祈りの課題としていきたいと思います。

主の祈りにおいて、主イエスは、「御名をあがめさせ給え。御国を来たらせたまえ。御心が天で行われるように地でも行われるように。」祈ることを教えてくださいました。

これは決して抽象的な祈りではなく、具体的な現状を理解しつつ祈られるべきものです。

とりなしの祈りは他者のため、とりわけ、苦しみ、傷ついている人々のためにささげる祈りです。