正確な情報こそが必要

遠山信和

 私のフェイスブックの友達である船木医師から以下のような投稿がありましたのでご紹介いたします。

【 「ありがとう」なんていらない 】
  
「『 正確な 』情報をください!」
  
私の言いたいことはそれに尽きます。
  
臨床現場で、医師として20数年働いてきた私にとってこの数ヶ月の新型コロナ感染症騒ぎを見ていて、余計に分からないことが増えている状況です。
 
ちなみに私は、週に5日、外来患者さんを診療しつつ200名以上の在宅患者さんたちを診ています。
特に高齢者が多い、在宅患者さんについては100名以上の在籍者のいる大規模な施設や10名程度の小さな規模の施設も含まれるので毎日の診察数としては、ごく平均的な内科医だと考えています。
 
市井の診療所であれば、風邪症状を訴えてくる人のなかに結果としてコロナ感染の方もいらっしゃるでしょう。事実、私も3日以上、熱が下がらないというかかりつけの患者さんを診察し、保健所から指示されている手順に従って、PCR検査を受けてもらった結果、新型コロナ感染症だったという方を経験しました。
 
(現在、クリニックでは診察は15分に1名だけとし椅子から診察台から、触ったところを、
ひとりごとに消毒しています。
発熱者の診察は、関わる職員が全員、マスク、グローブ着用で対応し、患者がいない時間帯はほとんど窓を開けて換気を続けています。)

その、結果的にコロナ感染(肺炎は認めない)だった患者さんも、だるさはあるものの、普通に歩いてきて普通に話して、普通にレントゲンを撮り、コロナと診断されても、指示通り、自宅にとどまっていました。
 
全国でももっともコロナ感染者の多いとされる(人口が桁外れなのであたりまえかと思いますが)東京都の23区内で現場の医師として働いている私の、ごく率直な感想を言わせていただくなら、
 
「なぜ、そんなに『不安・恐怖』を感じるのか?」
 
ということです。
 
テレビを見ても、おなじことの繰り返しで視聴率をとるための煽り文句しか聴かれないため新聞を含めほとんど参考にしていませんが、
 政府、マスコミが一刻も早く明らかにすべきなのは

「実際、新型コロナの何を恐れるべきなのか?」

「いまやっていることは、本当に効果があるのか?」
 という事実とそのフェアな考察です。
 
私の考える限り
人々が不安・恐怖を感じているとするなら
次の3つが原因でしょう。
 
感染力が強い
短期間に重症化し、致死的となりやすい
ワクチンがない、治療薬がない
 
については、主観的な意見が多く、例えば、インフルエンザと比べても、どれくらい「強い」のか、といった、具体的な数字は出てきません。
毎年のように学校では、学級閉鎖、学校閉鎖があっても
それを「クラスター」だとは言わなかったはずです。
もし、コロナを特別に扱うとするなら、科学的な根拠が必要です。
 
つまり、が明らかにされなければなりません。
日本で報道の通り、500名超の方が、亡くなったとするなら数的に、その経過をまとめ
速報としてまとめることは十分可能なはずです。
医療機関の担当者のみが記入できるようなサイトを厚労省も、都道府県も、すぐに作りあげます。なぜ、それをやらないのでしょうか?
 
たまに、テレビを見ていると「専門家」が頻繁にを訴えます。これについては、私は
「専門家」ではないので、製薬メーカー、省庁など関係機関との利害関係のない本当の専門家のフェアな意見を聴きたいところです。
それでも、ウイルス自体の変異や流行の型が今後も頻繁にあるとするならば、長い歴史のあるインフルエンザワクチンの「ワクチン効果(VE)」は
ひとつの参考になると思います。
https://www.jmedj.co.jp/…/item/books%…/978-4-7849-5480-3.pdf

私の解釈では、インフルエンザワクチンが効くのはせいぜい、20-30%くらいの人だということです。高齢者での死亡や重症化の予防に効果があるという報告もあれば、サンプルが少ないから評価できない、という論文もあります。
だとすれば、「新型コロナワクチン」は、本当に効くのでしょうか?
 
で追加するなら、インフルエンザなら
抗インフルエンザ薬(タミフル®など)があるだろうと言う人もいますが、これらには、半日から1日ほど解熱を早める効果はありますが、もっとも問題となる脳症や肺炎を予防する効果はありません。
 
はっきり言いますが、ワクチンや抗ウイルス薬に効果があると言うなら、重篤な副作用・副反応が「絶対に」メリットを上回らないことが条件です。
一般の人たちは、ワクチン、治療薬と聞くと、それがほとんど副作用もない特効薬のように解釈します。
私は、アビガンのような副作用の多い薬剤を、十分な使用経験のないままに適応拡大し、「軽症」の人にも使うべきという空気が作られていることに異様な流れというか、なんらかの意図を感じます。
(重症者で、他の選択肢のない患者さんに使用することは道義上当然、許容されると考えています。)
 
つまり、のポイントについて、国やマスコミは、すでに分かっていること、
まとめられていることに、適切な考察をつけて国民に正しい情報、分かる範囲で妥当な対応策を順次知らせるべきなのです。
 
私が考えるだけでも、
以下の項目について、少なくとも週単位での報告と自粛要請なら、それがどれだけの効果をあげているかの再評価を冷静におこない、隠さずに伝えていただきたい。
 
感染者総数だけではなく、治癒している患者数
都道府県別の患者数だけではなく、人口あたりの患者数
重症者の比率(年齢別、人種別)
重症者の致死率(年齢別、人種別)
死亡者の年齢、基礎疾患、すでにおこなわれていた治療内容
(コロナが明らかな主死因なのか、ほかの病気でもともと、
いつ重症化してもおかしくない状況だったのか、明言すべき)
日本国内で使用されている検査キットの詳細と、分かっている感度・特異度、
ならびに実施検査数(100件の検査で陽性が50件なのか、
500
件の検査で陽性が80件なのかでは評価が異なるのはあたりまえ)
同期間のインフルエンザ感染者数
同期間の総死亡者数と、その死因
 
最後に、ひとつだけ。
 
東京都内には、内科系の医療機関が約8,000あります。
病院は600軒あります。
 
仮に、いまの10倍のコロナ感染者が出たとしても(都内で1,0001,500人くらいになったとしても)重症者の比率を正しく伝えてもらえたら、一般の診療所の医師も、職員も、確率的にそうした疑いの患者さんの診療に当たる頻度はそう多くないことに納得するでしょう。
 
軽症の人たちは、症状、所見から地域の診療所医師に「疑い」とされれば、まず自宅にとどまるべきです。
一般の人たちも、大事なのは、PCR検査云々ではなく疑いがあったとしても、ほとんどは軽症・無症状で終わってしまうことが分かるなら、無意味な不安・恐怖を感じることなく自宅にとどまれるはずです。
ごくごく一部であろう(これも十分な情報がないのでだれもが判断しかねているところですが)重症者は、落ち着いて救急車を使ってでも、病院へ行くべきなのです。
 
短いスパンで分かっていることを明らかにし今時点で最善と判断されることを一般に知らせ効果があるかどうか判断しかねることはそれを正直に伝える。
 
その判断の「事実=客観的根拠」を隠さない。
不十分でも順次、公開してゆくこと。
 
「医療関係者のみなさん、ありがとうございます」はけっこうですが、その医療関係者のひとりとしてもっとも求めていること、現場が必要としていることは
 
『 正確な情報 』です。
 
行政も報道も、必要なのは事実と事実に基づく、冷静な方針の伝達であって、そこに
感情など必要ないことは言うまでもないですし、「不安や恐怖を煽るような言い回し」は
厳に慎んでいただきたいと考えています。
外出の自粛を促すにも、その根拠となっている事実を細かく知らせることをしないと、
「要請に従わない」「自分は我慢しているのに~は許せない」などという、感情論レベルの、価値のない言い合いに終始することは避けられません。
 
はっきり言っておきますが、
私たち医療関係者はプロです。
私も、目の前で咳き込んでいる肺結核の方もエイズの方も、最初はそれと知らずに何度も診療してきました。対策は講じますが、ほかの患者さんとなんらの差別は一切おこないません。
各種の感染症の方の血液浄化療法の現場で長くやってきました。
怖い、不安だという感情で動くプロはいないはずです。
そのためには詳しい情報がなにより重要なのです。
 
~王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり

これは、フェイスブックに投稿されたものですが、ここに言われているようなことを多くの国民は感じているのではないでしょうか。

問題は、マスコミが偏ることなく、真実で重要な情報を報道してくれていないということです。専門家会議と言われている人たちの見解も、客観的・科学的なものではなく専門家とは言い難いものです。こうしたことはかつての東日本大震災の際の原発事故の時にも感じさせられたことです。

「日本マスコミ文化情報労 組会議(通称MIC)」では、2020年の2月以降報道関係者に対してアンケート調査を行いました。その結果は以下のものです。

これによると、放送関係者の中でも「報道の自由が守られていない」と考えている方が多数あることが分かります。中でも報道機関幹部の姿勢に問題があると感じている方が多数おられるようです。

「あなたが現在の報道現場で感じている「危機」について教えて下さい。」という問いに対しては以下のような回答がありました。ここではいくつかのものを抜粋してご紹介いたします。

新型コロナウイルス関連

  • コロナウイルスの報じ方について危うさを感じている。医療崩壊という言葉についても、政府や自治体の長が、ギリギリ持ちこたえていると表現すると、それをそのまま検証もせずに垂れ流してしまっている。 実際の現場の声よりも、政治家の声を優先して伝えてしまっていることに危機感を持っている。お上のお墨付きがないと、今がどういう状態なのか、判断できない。(全国紙の新聞社社員)コロナとの関連で会見がかなり制限され、入ることさえできなくなったものもある。不都合な質問を受け て、できるだけ答えを出したくないという意図も感じる。(ブロック紙の新聞社社員)コロナについては、感染が確認された事業者自身が貼り紙やサイトで公表しているのに、行政が発表していないと掲載しない。結局、噂が先行して、自分も関係しているかも、と疑心暗鬼になるばかり。報道現 場は公の発表だけを出すのでなく、独自判断をすべきだ。(新聞社・通信社社員)医療や科学系でエビデンスを軽視した報道が見られること。(新聞社・通信社社員)災害取材などで毎度そうであるが、今回のコロナでも死者が出たならば、その映像取材でなどで報道側の自主規制が始まるだろう。現段階で、他国では報道されているコロナ治療の最前線の医療現場さえ、 日本では報道されていないことに危機感を覚える。(通信社社員)

政治報道について

  • ニュースソースが官邸や政権であること。その結果、番組内容が官邸や政権寄りにしかならない。彼らを批判し正していく姿勢が全くない。というか、たとえあったとしても幹部が握られているので放送されない。(放送局社員)現政権に対する忖度の蔓延。政権からクレームが来ることを恐れて批判精神がなくなり、過度にバランスを取ろうという姿勢が余りに強くなっている。政権の広報記事しか書かない記者は優遇され、森友問題 に斬り込んだ記者は左遷された。事実をそのまま報道出来ないのが今の NHK ニュースであり、報道局内 の空気だ。(放送局社員)現政権に都合のよいニュースや、ただ表面的な事実だけを伝える報道。政治家が答弁原稿を読むだけ。予定調和の記者会見。本来すべき権力への批判も監視もなく、そのことに視聴者が気づき、メディア への不信が固定化している。多くの市民が、既存メディア(特に大手)の存在意義はないと感じているので はないか。(放送局社員)国会論戦を放送しなかったり、あるいはやっても短い。官邸記者が政権に都合の悪いニュースを潰したり、番組にクレームをつける。これは日常茶飯事。官邸記者が政権のインナーになっている。(東京の民 間放送局社員=番組勤務)最近だと国会答弁の首相の答弁など都合の悪い情報を恣意的にカットしてニュース放送している様子が散見される。そもそも組織体制も報道現場の幹部職員はほぼ政治部出身で記者クラブや官邸との距離 が近いことは簡単に想像できる。そのほか経営委員会の任命権を首相が持つなどの人事権を握られている中で不偏不党や公共を掲げることに無理があるシステムなのかもしれないと感じる。(放送局社員)政権からの批判なのか局内からの批判なのか知らないが、批判を恐れて言うべき事を自主規制した原稿を書いてくる人が多い(特に政治部の解説員)。そしてそれを周りの人が、仕方のないものとして容認している。(放送局社員)政権の広報をしているだけで報道をしようとしない政治部の姿勢に疑問を覚えています。(放送局社員)政権への忖度。政権に気をつかい過ぎていて本当にそれでいいのかと思う場面がよくある。(放送局社員)政権をはじめ、政治家、ひいては局内で権力を持つ者に対する忖度の連鎖で、報道機関としての役割 や信頼を自ら損なう振る舞いが常態化している。幹部達は現場が取材した映像や証言をお蔵入りにして でも、政権を刺激しないことを優先。政権に不利な内容や対立する意見は必ず「バランスを取る」と称して政権側の反論を加えて放送する。政権の言い分は吟味せず垂れ流すので偽りの不偏不党であり、視聴 者には見抜かれているのに改めようとしない。「◯◯大臣がこう言った」「◯◯局長はこう言ったらしい」「だ からこのままではまずい」と内容を薄めたり、表現を弱めたり、両論併記に逃げる。霞ヶ関で起きていることと瓜二つ。抵抗してもろくな説明も無しに覆される。今回の『報道ステーション』スタッフの雇い止めもおそらくそうだと思うが、幹部達は「政権への配慮から」とは表立ってはなかなか言わない(赤裸々に言っているのが伝わるケースもあるので、本音は明らかだが)。人事と権力を嵩に暗黙のうちに忖度させる政権式 の恐怖支配が各所に連鎖・増殖している。余計なものばかりトリクルダウンしてくる。幹部達に飴と鞭で圧 力をかけてくる政権側の思惑通り、現場には政治に関わる報道や政権の課題・問題点の指摘・検証を尻 込みする空気が生まれている。報道機関にとっては自殺行為。幹部達は視野狭窄で組織を守っているつもりで組織を損ない、結局自らの保身にしかなっていない。(放送局社員)政権監視能力が全くなくなってしまった。(放送局社員)大本営発表しかしていない。情けない。(放送局社員)誰もが質問しない予定調和のぶら下がり。特に若手。(放送局社員)反権力の力がなくなっている。(九州の民間放送局社員)報道番組のディレクターですが、理事や報道局長からの介入が酷い。報道局長とその部下の女性記者 に官邸からホットラインがあり、政府、安倍総理の広報原稿を読むだけになっている。日曜討論に与党しか出ない、総理会見の質問を打ち切り、女性記者が総理の代弁をする。全てホットラインのせいであり、 部長や編集長級は転勤をちらつかされて言いなりです。(放送局社員)民主主義の崩壊。(放送局社員)例えば数々の首相の発言や、国会で知らないうちに進められている法案などについて、番組内で取り上げるのにとてつもないハードルを感じる。いくつもの条件をクリアしないといけないし、クリアしたとしても 一部分のみしか放送できない。(地方の放送局の関連会社・取引のある制作会社社員)自民党に支えられているテレビ局の傘下になっている新聞社 自民党が不利になる事柄については極力別の言葉に置き換えるように言われています。(新聞社・通信社の関連会社員)首相や官房長官の会見を巡る官邸側の制約と、それを簡単に受け入れる記者クラブの姿勢。両者の 共犯関係が可視化されたことによる市民のメディア不信。(沖縄の新聞社社員)政権、官僚への自由な質問が封じられ、国民目線とかけはなれた報道がなされており、権力を持つものの怠慢への真摯な報道、批判がなされない。(新聞社・通信社の関連会社員)政権への忖度。(新聞社・通信社社員)特に地方紙においては地元の政治・行政・関係者との距離が近く(地縁・血縁含め)、その意味で独自の政権批判がしにくい側面もある。若手記者は、現在の消極的な取材姿勢(記者クラブ主催の会見など) を基準として記者人生をスタートさせているため、今後の取材の水準が長期的に低下する懸念もある。 (東北の新聞社社員)

政権・公権力の姿勢について

  • 取材者側の放送を通じた公共の福祉への低い意識。(放送局社員)政権による報道機関への介入。(放送局社員)政権の報道への介入。放送側の忖度。(放送局社員)政府の介入。(放送局社員)総務大臣と総務省の介入。(放送局社員)野党幹部議員からの事実と違う内容を報道させようとする圧力。(放送局の関連会社・取引のある制作 会社社員)首長の会見などで、「これは書かないでほしいんですが……」という前置きが、よくある。(全国紙の新 聞社社員)某省にとって不都合な事実、現場の声を報道したら、某省幹部と懇意にしている弊社役員(上司)にクレームがいった。さらに某省幹部は、弊社の広告主(某省幹部の天下り先)に対して、弊社にクレームを言って広告を取り下げることを示唆するようにも伝え、広告主から強い批判があった。某県知事の批判を報道 したら、抗議書が届けられ、さらに弊社が請け負う公的な関連業(別事業)に対して今年度は予算を大きく 減らすと脅してきた。弊社のクライアントも巻き込んで批判してきた。(新聞社・通信社社員)某省の事務次官が、弊社のクライアントも多数集まるシンポジウムで講演し、某省に対して批判的な弊 社報道(すべて事実)を画面で映し出して「これは間違った報道だ」「偏向報道」などと紹介した。こうした事態のたびに、弊社の報道局トップは「某省役員からクレームがあった」などと暗に報道の自粛を求め、役員全員にわざわざ文書で記者名まで記して報告するなど過剰な対応をしている。(新聞社・通信社社員)独裁政権。(雑誌、フリーランス、インターネットメディア)

報道機関幹部の意識について

  • ある分野で素晴らしい記事を書いてきた記者が、全く異なる部署に配置替えをされたとの話を聞いています。会社の事情があるにせよ、本人の意に沿わない人事は、本人のためにならないだけでなく、報 道の力そのものを削ることになり、たいへん憂慮しています。(東京の民間放送局社員)おかしいと思っていても、組織内の力関係、属人的な問題でまったく事が前に進まない。どう考えても マスコミ、放送関係が魅力的な仕事、職場に見えず、新しい血(採用)が入ってこないことも最大の危機だと思う。(放送局社員)ジャーナリズムの原則に対する理解の欠如。視聴率優先主義。(北陸の民間放送局社員=ニュース 報道番組)なんとなく遠慮した報道がされているように思えます。基本的に放送局員はサラリーマンでありそのため完全なるジャーナリストになれないような。ジャーナリストたる主張をする人間を組織も煙たがる印象があります。上層部の腹がくくれていないのでは。(放送局社員)経営側からの見えない圧力。直接感じたことはないが、介入ゼロとは思えない。(放送局社員)現場に関わらない上の人間が、提案や編集に口を出し、完全な議論が現場に失われている。(放送局 社員)現場に出ていない人の判断が放送に反映されること。(放送局社員)国民の知るべき情報が届けられていない、知る機会が奪われているという深刻さに、気づいていない 幹部が大半で、非常に危機的状況にあると感じる。(放送局の関連会社・取引のある制作会社社員)使命感の欠如。ニュース項目を選ぶ基準が視聴率だと感じる。(東京の民間放送局の関連会社・取引 のある制作会社社員)自主規制。正直、政権与党から直接的な圧を感じた事はないが、内側にいる我々が勝手な忖度し、中立公平という謎の概念に、ジャーナリズムを放棄するような判断が多々見られた。ジャーナリズムよりも 企業倫理が勝ってしまう現状に危機感を感じ続けている。(東京の民間放送局の関連会社・取引のある 制作会社社員=ニュース報道番組)大手広告主、電通、吉本興業、ジャニーズ事務所などの大手芸能事務所からのあからさまな圧力に 放送局幹部が簡単に屈してしまう。(大阪の放送局社員)報道局で権限を持つ人たちが、報道に課せられた使命を理解していない。また個々人で思考し判断し 責任を取るという姿勢ではない。圧倒的な権力を持つ人とそれにならう人で構成された組織。だから簡 単に忖度は起きる。(東京の民間放送局の関連会社・取引のある制作会社社員=ニュース報道番組)放送局上層部が積極的に政権の意向におもねっていること。(放送局社員)忖度がまかり通っている。総務省が、理事がこう言っている、という主語で悪びれもなく指示が下りてく る。幹部も上司も思考停止で、監督官庁の意向を忖度するのに必死で、唯々諾々と上からの指示に従っているという感じ。疑問を呈するという姿勢がそもそもない。(放送局社員)「報道の自由」に関する質問への答えですが、正確には「あることはあるが、マスコミ側が安倍政権に 忖度して行使しようとしない」というのが私の答えです。ただ国民目線に照らせば「守られていない」ということになるかと思います。(新聞社・通信社社員)

中間管理職の萎縮、現場の意識について

  • 「過剰な忖度」であると現場の制作者も中間管理職もわかっていながら、面倒に巻き込まれたくないと の「事なかれ主義」が蔓延していること。自分たちがジャーナリズムを担っている自覚に薄く、とにかく無難 にやり過ごすことが行動原理となってしまっているように見える。組織内の評価が「減点主義」であること は昔から変わらないかもしれないが、それをはねのけるジャーナリストとしてのプライドがかつてはもう少 しあったのではないか。いまは目の前にあるジャーナリズムの危機を、危機だと感じる感性・見識のある 制作者が少なくなっていることが根深い。(放送局社員)タブーとされる情報にはなるべく近寄らない報道姿勢。全て他人事。楯突けば支局に飛ばされるので何も言えない。社員は萎縮している。(地方の放送局の関連会社・取引のある制作会社社員)意見を言いたくても幹部の意向で変わる事がある。(放送局社員)現場職と管理職との間にある使命感の差異。管理側になったとたん保身に走る傾向が強い。これでは 現場感は民へは届かない。オブラートに包まれた毒にも薬にもならないただの事象伝達機関と化している。(放送局の関連会社・取引のある制作会社社員)公正公平な判断の阻害圧力を局内外から感じている。(放送局社員)国民の知る権利に応えるという基本姿勢が薄らぎ、政治家をはじめとする目の前の取材先の意向ばかりを気にするようになっていること。(放送局社員)中間管理職に事なかれ主義が多い。(放送局社員)徹底追及、批判ができない社内体制。(放送局社員)立場の安定優先し、批判を恐れるあまり、主張のない一辺倒な報道しかできないこと。(放送局社員)忖度。(複数の放送局社員)捏造、虚偽が横行している 真実を全く伝えようとしない。(放送局社員)上司(中間管理職)が上ばかり見て記事を忖度している。(新聞社・通信社社員)結論ありきの報道姿勢、それに疑問ももたない社員。(新聞社・通信社社員)権力、国民からも、批判精神を理解されない同調圧力を感じる。(関東の新聞社社員)自己規制。異論を述べにくい雰囲気。異論を言うと仕事がしづらくなりそう。(専門紙の新聞社社員)取材しても書かないこと。(新聞社・通信社社員)取材先に食い下がらない記者の姿勢。(関東の新聞社社員)同調圧力、権力への忖度。(新聞社・通信社社員)報道されない事件があります。(新聞社・通信社社員)報道する側が裏取りなく自分の気持ち中心の記事を書いていて、それが一般市民と随分かけ離れている。この調子が続けば、現在のマスコミという構造体自体が社会的に不必要な存在になり、いずれ絶滅すると危機感を持っている。(インターネットメディア社員)

引用元 報道関係者への「報道の危機」アンケート結果(概要)について

https://toyokeizai.net/sp/vfiles/2020/04/pressenquete.pdf

以上、少し長くなりましたが、放送局や新聞社などのマスコミ関係者の方々からのアンケート調査の結果をご紹介いたしました。日本人は欧米諸国に比べてマスコミの報道を信用している方が多いようですが、報道関係者の多くが、日本のマスコミはジャーナリズムとしての使命感や意識を失っている、報道の自由が結果として守られていないと考えているようです。

日本のマスコミは、どれを見ても大差ない報道のように見えますが、日本のマスコミは、アメリカで一番よくみられているFOXニュースの報道(概して共和党寄りの報道)はあまり採用せず、CNN MSNBCなどの報道(概して民主党寄りの報道)を用いることが多いようです。いずれにしても政権に忖度するような当たり障りのない報道になりがちで欧米からの報道によってようやく真相が分かるということも少なくありません。アメリカ国内の新聞やテレビのニュースを比較してみると(日本とは違って)かなり内容が違っています。80年代のころにはアメリカの共和党も民主党もほぼ同じような政策だと教科書では教えられていましたが、今ではその教科書は使えません。今では、アメリカは二つに分かれているという記述で始めなければなりません。今日では、アメリカの3割の人が共和党、3割が民主党、そして3割が無党派層と答えるように全く二分されている状況にあります。共和党支持者の9割はトランプ大統領は素晴らしいと言い、民主党支持者の9割はトランプは最低だと言っていると言われています。

こうしたことを考える時、私には日本のメディアの方がアメリカよりも闇が深いように思われます。アメリカでは実に様々なニュースが様々な角度から語られるために読者はそれを見比べながら考えることが出来ますが、日本の場合は少なくとも日本記者クラブに入っている報道人、大手マスコミは政権よりのバイアスのかかった大差ない報道に終始しているからです。

日本のあるサイトでは、アメリカの共和党と民主党の政策について次のように説明されていました。

「共和党」は、いわゆるタカ派(強硬派)、中道右派(右派・保守派)です。経済効率を優先させ、大資本向きの政策をメインに打ち出しています。経済社会への政治介入を極力行わないという考え方で、福祉政策や環境問題は二の次にされることもあります。また、富裕で保守的な白人層を代表する政党ともいわれています。

一方、「民主党」は労働者の味方という立場です。リベラルな考え方で自由貿易主義を主張して、貧困層や弱者、中小企業を救済する路線をとっています。社会全体を見れば収入格差を小さくする方向に向かいますが、その一方で諸外国との経済関係では問題が起こる可能性もあります。

この説明は、かつての共和党と民主党のイメージを表していますが、現在の在り方を表しているようには思われません。アメリカの共和党と民主党の在り方もかなり変遷してきています。現在のトランプ政権の政策を見る時、次のように言えるでしょう。

アメリカ民主党の政策は、減税、反グローバリズム(反富裕層)、ナショナリズム、軍縮、憲法の遵守、小さな政府を目指すという在り方であり、この政策をアメリカの福音主義キリスト者の多くが指示しています。池上彰氏は「フロリダで行われた共和党大会に集まった代議員の顔ぶれを見た同行のテレビプロデューサーは、「日本の農協の全国大会みたいですね」と感想を漏らしました。地方の農家の男性たちと思しき人たちばかりだったからです。」と述べているように、主に白人の農民や労働者たち、旧きアメリカを支持する中西部では共和党の支持者が多くいます。日本ではアメリカ共和党のような政策を目指す政党は皆無に近いようですが、あえて言えば減税を打ち出している令和新選組、幸福実現党、オリーブの木などがあげられます。

これに対してアメリカ民主党の政策は、リベラル、増税、グローバリズム的自由主義経済の推進、社会保障の充実、国家が国民を監視し支配を強める大きな政府を目指すという在り方であり、無神論・社会主義的な政策に近づいてきています。大企業や富裕層の意向を受けた政策のために、オバマ政権時代には貧富の格差が広がりました。西海岸や東海岸など移民が多い州では民主党の支持者が多くいます。日本の与党も野党も財界や連合などの意向を受けて増税を支持したことからも分かるように、日本の政党の多くは、多国籍企業である富裕層の意向を受けているためにアメリカ民主党の政策に近いということが出来ます。

3月27日には、アメリカの2兆ドルの支援策を決めましたが、その中でも特にアメリカの中小企業給与支援策(PPP)に70兆円を充てています。これは融資ですが、雇用を維持しながらこのお金を社員の給与、水道光熱費、家賃のために使うならば返済しなくてもよいというものです。これによって8週間分の給与の保証をするというものです。当初は37兆円を充てていましたが、この結果申し込みが多数あったためにさらに3000億ドルを増額し、合計70兆円の支援を行っています。イギリスもドイツもそれぞれ休業補償として給与の80%余りを保証する対策をとっていますが、日本の場合は自粛要請はしていますが、保証は微々たるものにとどまっています。

実際には、多国籍企業である富裕層の方々はけた違いの資金力によって共和党にも民主党にも支援していますし、権力を持つことによって人々の判断がゆがめられてしまうことも確かです。単純には推し量ることが出来ません。高山正之氏は、「歪曲報道・・・その騙しの手口」という書物において大手新聞をはじめとする何十年にわたって繰り広げられてきた偏向報道、捏造報道の歴史を述べておられますが、報道をうのみにするという在り方ではなく、自分で考え真実に対する理解を深めていく必要性を感じます。

この度の新型コロナウィルスの広がりとともに政府は国民に自粛要請をいたしました。他国に比べて感染者も死亡者も少ないのになぜ延長したのか、本来であれば日本は通貨発行権を持っていますし、デフレ不況に在りますので国民に直接現金を渡すことも、休業補償をすることも可能なのになぜしないのか疑問が残ります。

偽預言者に気を付けなさい

聖書は、偽預言者や惑わす者に気を付けるように伝えています。「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」(マタイ7:15~20)

偽りの預言者は、「羊の皮をかぶった狼」(715)だと言われています。外面的には羊の皮をかぶっていて、やさしくて、その人の御利益になるようなことを言うのですが、相手が正直に自分の罪を認めたり、悔い改めに導くようなことはしません。現実に向き合わせるようなことはしないで相手の心に心地よい言葉だけを語りますが、その心は貪欲な狼のようだと言われています。

ここでイエスさまは、木と実の関係を語られました。良い木からは良い実が、悪い木からは悪い実がなります。
 以前「知ってるつもり」というテレビ番組がありました。そこには、社会的にすばらしい働きをし、良い実を結んだ人々が紹介されていました。長く続いた番組でしたが、最終回は、イエス・キリストでした。
 その理由は、「知ってるつもり」で紹介した人物を調べてみると、その人々が一番影響を受けた人は、ダントツでイエス・キリストだったというのです。これは世界の歴史を振り返ってみれば明らかなことです。この世界で時代を問わずに良い実を結んだ人々の多くが、クリスチャンだったのです。

日本の為政者やマスコミは偽りの預言者だなどと言うつもりはありませんが、いつの時代でも偏向報道はありますし、それによって国民が惑わされてしまうということも存在しています。日本の報道関係者の多くが、日本のマスコミはジャーナリズムとしての使命感や意識を失っている、報道の自由が結果として守られていないと考えているという現状を踏まえつつ、真実を探っていくことが求められていると思います。

そもそもジャーナリズム(Journalism)とは、『マスコミュニケーション辞典』によれば、「日々生起する社会的な事件や問題について、その様相と本質を速くまた深く公衆に伝える作業。またその作業を行う媒体をいう」とあり、『日本のジャーナリズム 内川・新井編』では、「時事的な事実や問題の報道・論評の社会的伝達活動」であると述べられている通り、とりわけ公共性の強い情報を扱うことをいうようです。ジャーナリズムにおける正義とは勿論、真実の報道です。ジャーナリズムのもともとの意味は「日記を付けること」だそうです。それも毎日毎日正確につけることから始めなければなりません。
 報道の自由は民主主義の基盤として不可欠です。ジャーナリズムは権力を監視し、国民の番犬としてその圧力に屈することなく、国民の知る権利に応えなくてはなりません。報道の自由が守られる必要があります。しかしながら特に昨今はそのスタンスはかなり危うくなってきているのではないでしょうか。

先ほど挙げた聖句の直前には、「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(マタイ7:13~14)と言われています。

正しい情報が広く伝えられていないためにこのようになっているということもできるでしょう。「今だけ」「金だけ」「自分だけ」という時の権力者たちやマスコミの報道を皮肉った言葉がありますが、マスコミの方々は、国民のことよりもスポンサーのいうことを聞いて、スポンサーの利益にそぐわないことは報道しないということもあるでしょう。また、その場限りの、自分さえよければと言った考え方のもとに権力者たちが縛られてしまうとき腐敗が生まれてきます。それによって多くの人々が誤った方向に導かれてしまいます。

この世の中にあって、すべての情報が正しい正確なものであり、人々が聞くべき情報が伝えられているならば、人々は預言者のことばやイエス・キリストの言葉を受け入れるように導かれていくでしょう。特にこの世界の指導者たちが、国会においても、マスコミにおいても、学校でも家庭でも、どこにあっても有神的人生観・世界観を持った人々によって神の言葉が語られ、その御心が行われていくならば、多くの人々もその言葉を聞いて神に従うようになるでしょう。

しかし、実際には「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。」(ヨハネ1911)と言われているように、その当時の指導者たちも、この世の多くの人たちも真理であるキリストを受け入れることが出来ませんでした。

「イエスは彼らに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」と言われた。」(マタイ16:6)、とあり「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。」(ルカ11:43~47)と言われています。当時のファリサイ人たちも、人々を指導する宗教的・政治的な指導者たちでした。聖書をよく学び、律法に忠実であろうとしたのですが、ここで主イエスが言っておられる「背負いきれない重荷」とは、ファリサイ人や律法学者たちが作ってきた律法を守るための伝承や規則であり、それら彼らが作り上げてきた伝承や規則に従うように教えてきたのです。

神様は、人間に神聖感覚と言われる感覚や良心を与えてくださいました。このため神を信じていない人であっても、自分自身の心のうちに祈る心や正しい生き方をするようにという思いが与えられているのです。しかし、官僚になったり、〇〇新聞社で働くようになった人たちは、その上司によって、政権に忖度して記事を書くようにという指示を受け、それに従わなければ左遷させられたり辞めさせられたりすることを考えると、自分の良心の声に背いても上司の指示に従ってしまうことになります。
わたしたちも、社会生活や教会生活において、同じようなことがあるのではないでしょうか。み言葉によってチャレンジを受けることもあると思います。神の求めておられること、神の御心を見失って、表面的、形式的なことに捉われたりする。自分の思いで人を裁いたり、批判したり、自分の正しさによって自ら立とうとしている、ということが、あるのではないでしょうか。

イエス様は、時の指導者であるファリサイ人、律法学者たちは、本来、神が求めていることを見失ってる、と指摘したのです。

 

正確な情報は偽善者からは生まれてきません それは神から来るものです

マルコによる福音書7章6節以下に、こうあります。「イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、/その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ、/むなしくわたしをあがめている。』 あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」

「偽善者」という言葉は、ギリシア語では「俳優、役者」という意味があります。人の目にはよく見せようと、敬虔そうに、神に従っているように振る舞っているが、それは演技であり、心の中では本当に神に従っていない、ということです。
口先では神を敬い、あがめているが、教えているのは自分たちの思いによって作った戒めであり、その心は神から遠く離れてしまっているのです。
わたしたちも、実は教会生活において、同じようなことがあるかもしれません。神の求めておられること、神の御心を見失って、自分の思いで人を裁いたり、批判したり、自分の正しさによって自ら立とうとしている、ということが、あるかもしれません。神の掟に従うどころか、むしろ神の掟を捨ててしまうことになっている。自分たちの正しさを主張し、誇り、一方でそのことによって人を裁いている。神が望んでおられることを忘れてしまっている、と主イエスは指摘されたのです。
神が語って下さるみ言葉とは、神がわたしたちを愛して下さっているということ、わたしたちを救って下さるということです。
そして、わたしたちが、神に従うということは、その神の愛を受け入れ、その愛にお応えする、ということなのです。わたしたちも神を愛し、また、神が愛しておられる隣人を、わたしたちも愛して生きるということです。
神の律法は、このようにわたしたちが神の愛に生きるために与えられているものです。

まず神は、愛するわたしたちのためなら、何でもして下さいます。わたしたちが神のもとに立ち帰り、神の恵みのもとで、神とともに喜んで生きるためなら、神は何でもわたしたちに与えて下さるのです。

その神のわたしたちへの愛の極みとして与えられたのが、神の独り子、イエス・キリストです。この方が、わたしたちの罪を背負って十字架で死んで下さったことによって、わたしたちに罪の赦しが与えられたのです。また、十字架の死の後に復活させられたことで、わたしたちにも、罪による滅びではなく、罪を赦された者としての新しい命が与えられることを、何より大切なこととして示してくださったのです。
神の救いが実現した今、わたしたちは、ただ、主イエスの十字架による罪の赦しと、復活による永遠の命を信じることによって、神のもの、神の聖なる民とされています。
わたしたちは自分の中に、清さや、正しさ、救われるための良いものを、一切何も持っていません。ただただ、神に逆らい、罪を犯すばかりです。
しかし、ただ神の愛によって、神の選びによって、神のものとされ、キリストのものとされ、罪を赦されたもの、清いものとしていただくことができるのです。
この、わたしたちに対する神の御心を知っているならば、主イエスによって神との正しい関係に生かされることによって本当に自由に生きることが出来るのです。
大切なことは、主イエスの十字架と復活に現わされた神の愛を、受け入れ、お応えすることです。
わたしたちを聖なる神のものとして、神との正しい関係の中において下さるのは、わたしたちの正しさや、清くあることの努力によるのではありません。わたしたちを選び、一方的に恵みを与えて下さる、神の愛によるのであり、そのために、神がわたしたちの罪を清めるために遣わして下さった、神の御子イエスの十字架と復活の救いの御業によるのです。
わたしたちはこの神の愛を受けて、主イエスの御許で生きる時に、まことに自由に、活き活きと、感謝と喜びをもって生きることが出来るのです。