グロービスのG1サミットという集まりにおいて、多摩大学大学院教授である田坂広志さんは次のように述べておられました。

リーダーは使命という言葉の意味をしっかり見つめてみるべきだと思う。この言葉は日本語で指導者と訳されることが多い。「人々を導く立場である」と。企業では部下や社員、政治の世界では国民の方々を導く立場というわけだ。そうしたリーダーが持つべきは、「自分自身が導かれている」という思いだと言える。その思いを持てるか否かがリーダーを分けると私は考えているし、それがないと非常に危ない。「自分が人々を導いているんだ」という思いだけなら、実に簡単に、小さなエゴから生まれたエゴトリップに陥ってしまう。私も含めて人の心にはエゴがある。多くの人々を導く立場になると、そのエゴが喜ぶ。

それを戒める意味もあって、日本ではリーダー論として「大いなるものに導かれている感覚をまずは持つべし」と、昔から教えていたのだと思う。まさにリーダーである皆さんにも伺いたい。今までの人生や仕事のなかで、皆さまは何か大いなるものに導かれて進んでこられたのではないだろうか。安っぽい意味でなく、「リーダーは大いなるものに導かれて何事かを成し遂げる」という、この宗教的情操が日本では昔から教えられていた。

田坂広志さん

「リーダーは大いなるものに導かれて何事かを成し遂げる」この宗教的情操が日本では昔から教えられていた。と言われるのです。ここで言われている「大いなるもの」とは、人間の作る社会の権力者や地位のある人物ということではなく、人間を超えた存在のことを指しています。

聖書に出てくる信仰者たち、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ダビデ、エリヤ、イザヤなど、彼らは皆、その当時のリーダーとして立てられた人たちでしたが、それぞれにその使命を与えられて、大いなるものに導かれて何事かを成し遂げるという生涯を歩み通したのです。

今日の日本では、リーダーが大いなるものに導かれて何事かを成し遂げるという自覚がかなり希薄になっているのではないかと思われます。この自覚を、改めて持ち続ける必要があるでしょう。

さらに、田坂さんは次のようにも述べておられます。

 誤解を恐れず申しあげると、素晴らしいリーダーは挫折を知っている。何かを成し遂げるリーダーは、実は若き日、あるいは歳を重ねたあとでも挫折を経験して、そこでリーダーとして本当の自覚を持たれている。政治家の方でも経営者の方でも、そうした例がほとんどであることに我々は気付くべきだと思う。これは本を10~100冊読めば深まるとか高まるといった生易しいものではない。天がひとりの経営者や政治家を育てようとするとき、そこで挫折を与えることも真実だと思う。

これは聖書の歴史を見ても一目瞭然です。神によってリーダーとして立てられた人たちは、例外なく、挫折を経験し、試練を経験する中で神によって育てられ導かれてきたのです。

それは先に挙げた信仰者たちもそうですが、創世記に出てくるヨセフの生涯はまさにその典型と言えるでしょう。兄たちによって奴隷としてエジプトに売り飛ばされ、忠実に主人に仕えますが主人であるボティパルの妻によって牢獄に入れられてしまいます。しかし、神はヨセフと共にいてくださり、やがて彼はエジプトの王の夢を解くことによってエジプトの総理大臣の立場になり、イスラエル民族をも救い導くリーダーとなったのです。

ヨセフと兄弟たち